21/02/14 山本弘『アイの物語』

こんにちは。また間隔が開いてしまいましたが、バタバタしていたのが片付きそうなので、久しぶりにブログを書きます。

ここ最近、図書館に行けず、小説を読めていなかったので歩いていけるBOOKOFFで適当に文庫を買ってきました。今回はその中の一つ、山本弘の『アイの物語』の感想です。

 

 

アイの物語 (角川文庫)

アイの物語 (角川文庫)

 

 

 未来を舞台にしたSF小説で、アンドロイドの反乱によって衰退した人類の生き残りである主人公が、アンドロイドの1人(1体?)であるアイビスに捕らえられ、人類がかつて創作したとされる6つの物語と、アイビス自身の話を聞くことになります。

 

ジャンルはSFだと先にも述べましたが、実際には、人間の性質について暗に問題提起をする場面が多いです。特に、人間が犯してしまいがちな誤りを「ゲドシールド」という(おそらく)造語を用いて表現しています。作中では、「自分は真実を知っていると思いこんでいるヒトが、外界からの真実の情報を無意識にシャットアウトすることで、自分自身を偽ろうとする心理的機構」と説明されていますが、「ヒトが見たいものだけを見て、信じたいものだけを信じようとする」現象とも言えると思います。

最近の話題で言えば、東京オリンピック組織委員会の森会長が「不適切な」発言をして、辞任するということがありました。

森元首相の過去の失言や功績、組織委員会の体質、メディアの報道姿勢などを(関係ないわけではないですが)とりあえず措いておくことにして、果たして問題となった発言が本当に不適切であったかどうか。全文を見てみると、確かにほんの一部ではあるし、切り取る範囲次第ではどちらとも捉えられるものの、時勢やオリンピックの理念をちゃんと追っていれば避けるべき表現があったと私は思います。(辞任するほどかという点は、前後の発言や関係各所の動きがあるので一概には判断できません。また、表現を変えればよかったかという問題ではないのは理解しています。)

さて、そんな曖昧な表現で評しつつ何が言いたいかというと、今回の騒動でも、いろんな人がいろんな立場や思考から思い思いの発言やコメントをしているわけですが、その前提となるはずの事実認識が、異なっている可能性が大きいと思われるのです。ゲドシールド(多分、ちゃんとした学術用語でも何かあると思いますが、とりあえずかっこいいので使います)を通過した情報は、人それぞれ違っていたのではないでしょうか。

 

そんな時事ネタを例に出すまでもなく、日常生活から歴史上の出来事まで、ゲドシールドというものがありそうというのは、実感できます。

(現実社会を舞台にすると、いろいろややこしそうですが、SFという形を取ってこのように人間を描けるのは、文学の強みだと感じます。私の大好きなSFである「銀河英雄伝説」は歴史小説の要素も盛り込みつつ、人間の特性を描き出していますので、ぜひ読んでみてください)

 

結局、作中ではより論理的に考え、ファジィという概念を通じてより正確にコミュニケーションが取れるアンドロイドの方が、知性体として上位であるという結論になります。(ファジィは虚数 a + biを用いて感情を表すものらしく、虚数軸の感情はヒトには理解できないらしい)

 

小説としては、そう落ち着けた方がインパクトもあるのでいいのですが、現実に生きる私たちとしては、どうにかゲドシールドを克服してなるべく論理的倫理的に正しい判断をしていく術を見つけなくてはいけません。

虚数を用いてのコミュニケーションは確かにできませんが、ヒトにも言語という武器があり、使い方次第では十分コミュニケーションを取ることができるでしょう。ある意味、この小説は作者からの、挑戦状ではないかと読み終わって思いました。

 

ちなみに、タイトルにもなっている「アイ」はヒロインの「アイビス」の愛称であり、虚数単位"i"であるとともに、人称代名詞"I"であり、"AI"・人工知能にも通じ、日本語の「愛」とも取れます。

虚数という数学概念が電気工学において大きな役割を果たすことになったらしいという話を聞いたことがありますので、もともと機械はiと縁が深いのですが、ここまで様々な意味が込められていると面白いですよね。