22/02/04 恵方いつもきり悪い問題

昨日は節分ということで、恵方巻を食べた方もいるのではないでしょうか。

実家にいたころは食べていましたが、一人暮らしを始めてからは意識することもありませんでした。

ただ、最近読んだ小説の中で、恵方はもともと東西南北の十六方位ではなく、干支の考え方によるものだと出てきて、積年の謎が解けました。

それが、表題にもある通り、「恵方いつもきり悪い問題」です。

恵方いつもきり悪い問題

恵方といえば、東北東や南南東などいつもきりが悪い印象で、いつになったら真東とか、せめて北西とかになるのかと不思議に思いながら、毎年の記録をとるわけではないので今年も変だなと思っていました。

 

小説で出てきたのをきっかけにいろいろ調べてみて分かったことは大きく2つです。

1.昔の方位は十二支をベースにしているので、現在の十六方位とは一致しないこと。

2.恵方には4パターンしかないこと。

 

1.昔の方位について

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十二支と方位

十二支というと、動物と関連付けて今年は申年といったように、年を表すものとして現在では主に残っていますが、古くは年だけでなく日も時間も方位も十二支と十干を用いて表していました。方位でいえば、図のように、北の子から始まって時計回りに丑、寅と並んでいきます。それぞれ30°ずつです。

それに対して、現在は東西南北の四方位からそれをさらに細かくしていった八方位、十六方位をよく用います。

 

例えば、辰と巳の間にあたる辰巳、巽(たつみ)=南東となってこれは一致してよいのですが(「巽」とかは八卦によるっぽい)、寅卯はどうしても十六方位では完全に一致しません。最も近い方位でいえば東北東ですが、それでも7.5°ずれがあります。

 

方位を十二支で表すことについては、百人一首にも選ばれている

 わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり

という歌にも表れていますね。

 

2.恵方について

恵方に関しては、角川古語大辞典に次のように説明があります。

えはう【吉方・兄方〖恵方】名

暦法でその年の歳徳神(としとくじん)の宿る方角。(中略)

吉方の定め方は、十干が甲・己の年は、十二支の寅卯の方角、乙・庚の年は申酉、戊・癸の年は、丑未、戌あるいは巳午、丙・辛の年は巳午、丁・壬の年は亥子の方角とする(簠簋内伝・一)。

「簠簋」の読み方も分かりませんが(フキ?ホキ?)、どうやらどちらも祭器を表す漢字のようなので、神事・祭事にかかわる取り決めについて書かれているのでしょうね…

 

つまり、その年の十干によって方位が決まり、それは、4パターン(戊・癸に関してはいくつか可能性があるようですが、現在では丙・辛と同じ巳午とするようです。)に分けられるようです。方角への対応は、五行=木・火・土・金・水を方角(東・南・中央・西・北)に割り当てた上で、陽の年(「〇のえ」となる甲・丙など)にはそのまま対応、陰の年(「〇のと」)は逆になるようです。

そこでの東にあたるのが寅卯(=東北東よりやや東)ということで、4パターンの中途半端な方角が恵方として繰り返されるようで、ひとまず仕組みはわかりました。(15°反時計回りに回転させると恵方になる)

 

ただ、東や北といった言葉自体は古くから存在し、五行説の対応からしても真東を恵方にしない理由がよく分かりません。

ここから先はあまり調べていないので推測ですが、東にあたる卯の方は、図からも分かる通りある程度の範囲があって、実用上の問題があったため、一つに決まる境界線を方角とした可能性が考えられます。もしくは、移り変わる瞬間・境界であるというところが神秘的な意味を持つために、神様が存在すると考えたかったのかもしれません。

いずれにしても、恵方が現在は表立っては残っていない古い文化の名残を留めているといえそうです。

 

方位・干支・陰陽道

古典の中で、方違えという風習が出てきます。(現代も風水的に気にする人はいるらしい)

わざわざ面倒なことをする意味も分からないと思っていましたが、方位に神秘的な意味を見出し、恐れたり祈ったりすることが文化だったのでしょう。(諸橋轍次は「有害な迷信」や「何の理由もなくただ人の常の心を乱すばかり」なものもあると斬り捨てていますが…)

五行十干や十二支はもう多くの場面で気にされることは少なくなっていますが、まだよく見ると残っていることもあります。古典で無意味な知識として暗記するだけ、もしくは雑学知識のように消費するだけではなく、今と昔のつながりや違いに思いをはせる一助となるように伝えたいものですね。

そのためにも、ある程度しっかりと理解しておきたいと思いましたが、どうも陰陽道が関係しているようで、奥は深そうです。