21/12/03 歌物語を書こう(授業実践)

およそ半年ぶりですが、ブログを書きます。

 

およそ1ヶ月前に実践した授業についてです。

高校・国語総合で、古今和歌集の歌を取り上げて自分なりに歌物語を書く授業でした。

 

授業のねらい

高校の古典といえば、助動詞や古語を暗記して、敬語に気を付け主語を補い、古典常識を踏まえて現代語訳をするという授業を受けてきた自分としては、そのようなトレーニングを受けたからこそ読めるものがあることは感謝しつつ、古典をどうして学ぶのか高校生にもそれぞれの目標をなんとなくでも持ってほしいと思っています。

正直に言って、古典をどうして学ぶのか、という問いに関して自分の中に、万人に自信を持って返せる回答があるわけではありません。教養だよと言って納得してもらえるのであればいいのですが、価値を見出せない人がいても仕方ないのかもしれないとは思ってしまいます。ただ、受け継がれてきた言葉や文化を学ぶことで、今の自分・自文化を改めて認識したり、そこから何かを創ったりするきっかけとしては古典の奥深さ・懐の広さは面白いと思います。古典の授業としては、読み理解するだけではなく、読み深め、自分なりに消化していくことが必要なのではないでしょうか。

(という抽象的な理想論も頭の片隅に置きつつ、実際には色々あるので折り合いをつけなければいけないのでしょうね)

 

さて、古典を読み深め自分のものとするためには、韻文が良さそうです。特に短歌や俳句は文字数を削った分、想像の余地も広く、なおかつ声に出しやすいという利点があります。また、現代語訳にはどうしても表現できないリズム感・簡潔さ・余韻といったものをそのまま味わうことは、原文に触れる必然性につながります。

そこで、教科書掲載の古今和歌集の歌から、背景知識をそこまで踏まえなくても歌意を取りやすいと思われる歌を四首選抜し、①どれか一つでも暗唱するまで音読する②詠まれた状況を想像し、歌物語を書く ことを授業のねらいとしました。

 

教材と授業の流れ

選んだ歌は…

春歌

世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし  在原業平

夏歌

五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする  よみ人知らず

秋歌

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる  藤原敏行

冬歌

山里は冬ぞさびしさまさりける人めも草もかれぬと思へば  源宗于

の四首です。

「世の中に~」は好きすぎるがあまりなければよいのにと思う心に共感できる人がいるかも、

「五月待つ~」は橘の香りや昔の人との関係性など気になるところが多い、

「秋来ぬと~」はちょうど秋だったので秋を感じる瞬間と関連させて想像しやすそう、

「山里は~」は物寂しい感じが情景として描写しやすいのでは、と思い各季節から1つずつ選びました。

 

授業時間の都合上、細かい訳や解説はせず、各自の古語辞典に歌意や解説が載っているのを調べてもらいました。

2時間のうち、1時間目に登場人物や時代・場所などの設定を考え、2時間目に実際に書いてみて、作品を回してコメントする流れで授業を行いました。各時間の頭と終わりに音読+暗唱チャレンジを行いました。

 

成果と課題

直前に「伊勢物語」を扱っており、歌物語を読んだことはあるとはいえ、想像して創作するのは、結構難しいかもと思いつつ臨みましたが、思った以上に各自で想像してストーリーを展開しており、表現も工夫できている人がいました。あまり訳や解説を確認していないために、歌の意味をやや誤解している人もいましたが、かえって余計な背景知識にとらわれずに自由かつ無理のない発想を出来ている人もいました。ここら辺は、自由にさせるならさせるで腹をくくってとにかく書かせてみるしかなく、ちゃんと踏まえてほしいものがあるなら、しっかりと解説をした上で想像するべき箇所を限定して出すというように授業の目的に合わせて調整できそうです。

 

感想や振り返り記述を書いてもらっていないので、内心どう感じたかどうかまでは分かりませんが、場面設定を見る限り、昔のこととして読まず、現代に置き換えて考えている人が多く、時代を超えて読めることを古典の面白さとして最後に語りました。「読めるから何?」と言われてしまうと、そこに経済的価値があるわけではないのですが、既存の感情や場面を上手に言い表した言葉と出会うことや、これから起こるかもしれない思いに想像を巡らせることは、教養という大層な響きではなくとも、個人のささやかな幸せにつながるのではないかと思っています。

 

芥川龍之介古今和歌集から王朝ものを生み出したのに倣って、古典から自分なりに読みかえて表現するのは面白そうだと考えてみたこともありますがやはりいきなりは難しいです。和歌はもしかしたら、古典と創作をつなぐにあたってちょうどよい入り口になるかもしれません。俳諧紀行文あたりも書けると面白いかもしれません。

 

余談にはなりますが、歌物語を書くにあたって「古文風」に(歴史的仮名遣い、音便化しない、古語を使ってみる、「けり」「なり」を使ってみるなど)書いてみてもいいよと言ったところ、すでに学習した伊勢物語竹取物語を見返して、挑戦している人も見られました。暗記して、読むのに使うだけになってしまっている文語文法や古語を、自分で使いこなすのは相当に難しい(ネイティブがいないので複雑になると採点もできない)ですが、ただ覚えさせられるよりは実際に使ってみた方が勉強になるという先行事例もあり、可能性を感じました。

 

最後に、生徒に書かせるばかりではいけないので、自作の歌物語を書きます。ご笑覧ください。

創作「百年目の秋」

鮮やかな赤や黄色をまとった山の姿がスクリーン上に映し出されている――。その様子の見降ろしながら、俺は今日最後の仕事場である給気口C-284へ向かっていた。

このところ、どうも給気システムの調子がよくない。異臭がすると呼びつけられ、昨日はBブロック、今日はCブロックの点検だ。確かに嗅ぎ慣れない匂いがするのでフィルターを交換してみたが、原因はよく分からなかった。人類の未来は俺にかかっているぞとうそぶきながら、誰もいない機内で大きなあくびをする。

 

祖父の祖父の時代に、ささいなきっかけから地上が住めないほどに破壊されてから、人類は地下にコロニーを作って生き延びてきた。地熱を利用した人工光源では、まともな植物は育たず、無機質な街並みがこじんまりとまとまっている。空気も完全に浄化して循環利用するにはエネルギーが足りないのか、地表の吸気塔から取り入れた空気を処理して使っている。俺の仕事は、給気・排気のシステム周りの保守点検だ。大して難しい仕事ではないが、コロニー全体の生命に関係するので気を抜けず面倒なことも多い。

 

C-284に到着した俺が機体を降りると、すぐにまた例の匂いが鼻を突いた。不快ではないが、慣れない匂いに戸惑いを感じつつ、フィルターの点検に向かう。その時、リーンともピーンともつかないかすかな音が聞こえてきた。どうも、給気管の奥から聞こえてくるようだ。

ふと思い出したのは、子どもの頃に読んだ絵本に載っていた「秋」のページだ。見慣れない黒いムシが音を奏でるらしいと見てどんな音か不思議に思ったのを覚えている。

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

春夏秋冬なんてただの古い概念かと思っていたが、今地上には命が生まれ、秋がまた来ているのだ。それで、あの匂いもなんとなく正体が分かった。

 

(あとがき)SF・未来という設定で作ってみました。夢十夜の影響が出過ぎですね。