20/10/04 主権者教育推進オンラインシンポジウムの感想

こんにちは。本日、文部科学省主催の主権者教育推進オンラインシンポジウムに参加してきました。東京の会場に行くことなく、どこからでも見られるというのはとてもいいですね。徐々に、オフラインのイベントも気をつけながら開催されるようになってきていますが、コロナが解決してもネット配信は文化として続いてほしいです。

 

さて、肝心の内容について語る前に、主権者教育というものについて整理したいと思います。

日本では憲法国民主権とされており、特に18歳以上の国民には選挙権が与えられて議員を選び、政治を決めることができます。ただ、投票率が低いことや選挙制度の問題などなど、国民として政策を決めているという実感がある人はそう多くないのではないでしょうか。この前、自民党総裁選がありましたが自民党員でなければ、自分の国の首相を決めることすらできないという状況でした。

さて、主権者教育は、主権者たる国民を育成するために行われる教育のことで、主として社会科・公民科で行われるものと認識されています。ともすれば「選挙に行きましょう」という啓発活動で終わってしまいがちな主権者教育ですが、国民の権利(と同時に責任)は単に投票に行くだけではなく、自らの社会を決めていこうとする様々な活動が本来は含まれるはずです。文科省でも議論はされており、学習指導要領にも関係する記述が見られます。

ここらへんはちゃんと整理したいので、主権者教育・有権者教育・市民(性)教育・シティズンシップ教育などの用語の整理等を含めていつかちゃんとした文章をどこかに書きます。

 

それはともかく、政治を決められるのではなく、決めていく人間を育成するために、主権者教育があって、短期的には若者を中心に投票率の向上、長期的には投票その他社会的活動を通して社会を担う人間の育成が目指されているということです。

 

今回の、シンポジウムは文科省の主権者教育推進会議の議員を中心に、各地での取り組みの紹介や参加者との意見交換を通して主権者教育の在り方について議論し、推進していこうというものでした。

個人的には、勝手に高校が主権者教育の中心地だと思っていたので、家庭・地域から小中、大学から大人(特に保護者)までが連携して行うというのは目からうろこで、小学校でも町の課題に対して自分なりの解決策を提案し、行政職員に提案する場を設けるという取組みには正直驚きました。国政のことをイメージして、政治は難しいからある程度の年齢にならなくてはできないだろうと思い込んでいた自分の視野の狭さを反省し、自分で気づき、考え、行動するという市民性の礎は長い年月をかけて培われるものだと認識を改めました。

 

パネリストが登壇してのディスカッションで盛り上がっていたのはメディアとの付き合い方についてでした。今の子どもは新聞を読まず、ニュース番組を見ず、本も読まないために読解力も低いと。SNSの特性上、自分に近い意見の人との付き合いが多く視野も狭いと。

 

それも結局使い方次第だろうとは思います。新聞だって読み方によって関心が高まったり高まらなかったりするだろうし、SNSを利用して自分とは違う意見の人に出会うことも、難しくありません。

 

地道で、成果も見えにくいですが、結局は主権者意識を持たせることしかないのかもしれません。パネリストの1人の話では、一時的に投票率を大きく上げることは難しくはないが、それを継続させることはとても難しいということでした。試験が終われば忘れてしまうように、興奮が冷めれば政治への関心を失ってしまうのはどこか仕方ないことで、一時期の意識の高い状態のうちに、習慣や文化へ進化させなくてはいけないのでしょう。

 

様々な取組みがすでに行われていることだと思いますが、有効な方策は、成功体験を積み重ねることと危機感を持つことだと考えます。

生徒会で校則を少し変えたとか、行政に言ったらエレベーターがついたとかそういうところから始まって、政権交代を起こしたり、デモで政策が変わったりすれば政治への希望が持てるでしょう。

また、今の日本もそうですが、権力者に任せきりにしておいたらよくないことが起きるかもしれない、と思い続けるのも大事でしょう。

 

知識として政治のこと、選挙のことなどを教えることも不可欠ではありますが、動けば何かが変わり、動かなければ大変なことになると思わせることがカギになると思われます。

 

ただ、こういったことが教師なり、文科省なりなんでもそうなのですが、上から与えられて植え付けられるというのでは思ったような結果にはならないはずです。

きっかけは外部にあったとしても、最終的に自分で信念を持って主権者として行動することこそが大事です。

 

と、ここまで書いてきましたが、このような漠然とした、印象に基づく話ではシンポジウム中にも気になった、自分の知っている範囲でわかった気になって語っている人と結局一緒であり、何の説得力もありません。

それは自覚しつつ、後々データを集めて意見を固めていく素案として、拙文ですが書いておきたいと思います。