20/09/06 辻村深月『傲慢と善良』

こんにちは。

 

友達にお勧めされてからずっと気になっていた『傲慢と善良』を読みました。 

 

傲慢と善良

傲慢と善良

 

 

高慢と偏見』をもじったタイトルですが、作中では、婚活がうまくいかない理由として傲慢さと善良さがあると語られます。

傲慢さとは、自分を客観視することなく、相手に点数をつけ見合っていないと感じてしまうこと。善良さとは、結婚を勧める親に心配をかけまい、いい子でいようとすることと初めて出てきて以来、様々な場面で形を変えて傲慢さと善良さが現れます。

 

メインの男女に加えて、様々な登場人物の価値観が示され、人それぞれ刺さる部分は違うと思いますが、私なりに感想を書きます。

 

作者もおそらく一番力を入れたであろう、第1部の最後で真相に気付くシーンはやはり驚かされました。主人公はそれなりに理性的で、人生経験も豊富ですが、結局婚約者のことを正しく理解することはできていませんでした。それは自分の見方が正しいと思いたい傲慢さでもあり、相手を疑いたくない善良さでもあります。

作者の仕掛けも見事ながら、女の世界の恐ろしさ(そういう人ばかりではないと信じたいですが)を見ようとしていなかった自分のお人よしに呆れてしまいました。

 

結局のところ、自分の信じたいようにものを見ることが多く、特に人間の内面は間接的にしか観察できないため、既有の価値観に沿って考えることから逃れることはできないのでしょう。そういう点を鋭く描き出した作品として、読み物としての面白さに留まらず文学的価値が生まれていると感じました。授業で扱うには長いですが、人にお勧めしたいですし、名作として読み継がれていってほしいと思います。

 

ただ、その傲慢と善良がただ悪いものでもないというのは考えておく必要がありそうです。結末も一応丸く収まっていますし、傲慢になりきれない、善良でいられないのはそれはそれで苦しそうです。

プライドを持っていること、安心できることは一定程度必要なはずです。

 

 

また、傲慢さや善良さに気づくためには一度それで挫折することが必要そうだとも学べます。心の底から傲慢な人は自分が傲慢であることに気づけないでしょうし、善良さが裏切られないと善良の価値には気づけないでしょう。

もうすぐ終わりを迎える安倍政権に対して傲慢だという批判が出ることがあります。ただ、私がその批判に違和感を覚えるのは、政権側にその自覚がなさそうに思えてしまうからです。謙虚で内省的な面がないと、傲慢が自覚できないとはなんとも皮肉ですが、人間の本質をついているのかも知れません。

 

少しまとまりのない文章になってしまいましたが、色々なことを考えさせられる作品でした。ぜひ読んでみてください。