20/08/15 言葉を消費する
こんにちは。
今回は、言語を消費する現象について考えてみます。
なお、ちゃんと調べれば文献はありそうですが、今回は思うままに書いてみます。
「言葉を消費する」という表現で意味したいことは、「言葉には手垢がつき、それを嫌がって新しい言葉を使う・生み出す」ということです。
例を挙げましょう。
集合住宅にはいろいろな名前が付きます。アパート、マンション、ハイム、~荘、ハイツ、パレスなどなど。挙げれば様々あるでしょう。
それぞれ意味の重なりや違いはあるものもありますが、名前だけに着目すると、元になった外来語の意味とは違っていることがあります。Heimはドイツ語の「家屋」ですが、mansionは「貴族の屋敷、豪邸」、palaceは「宮殿」です。
これらが用いられるのはこれらの言葉の持つ「イメージ」によるでしょう。~荘よりは~ハイツの方がまだ綺麗そうで新しそう…といった具合です。
では、そのイメージはどのようにつくられるか。言葉の音自体には本来イメージはありません。その言葉を意味を持たせて誰かが使い、その意味が共有されたときそこにイメージが生まれます。
ここで、問題が発生します。言葉には「手垢」がつくのです。(深入りはしませんが、一種のミーム汚染とも言えるかもしれません。)マンションもかつては豪華できれいな部屋を意味したのかもしれませんが、そのイメージが広がると、便乗して様々な「マンション」が生まれます。その中には、もとのイメージとはかけ離れたものも含まれることでしょう。そうすると、マンションという言葉は普及する代わりに変質し、もとの役目を果たせなくなります。こうして言葉は消費され、次の言葉が要求されるのです。
また、言葉の消費は流行語とも関係が深いです。「忖度」という言葉が数年前に話題になりました。「倍返し」は最近また盛り上がっています。「おもてなし」は果たして来年できるでしょうか。しばらくは「密」と聞くと都知事を思い出すでしょう。あるいは「イソジン」を見るたびに府知事を思い浮かべずにはいられません。
このような流行語をネタとして消費しながら私たちは生きています。
ここまで書いてきて思ったことがあります。
中身がないものほど強い言葉を欲し、中身が強いものは一般的な言葉でも消費の対象になるということです。
言葉には様々な強みがありますが、実を伴わなくても好き勝手に使えるという特徴もあります。
標語で引っ張らなくてはいけない状況をなるべく避け、あとから名前がつくことを目指したいものですね。