20/08/01 永守氏の大学論について

こんにちは。

本日は大学について考えたいと思います。

数日前に永守重信さんがテレビ番組に出演され、自身が理事長を務める京都先端科学大学における「人財」育成の取組を紹介し、大学について語られたそうです。番組そのものは見ていませんが、Twitterで評判になっており、公式HPにおける挨拶インタビュー記事を読んでみました。

 

 

素直に評価できる点は、私財を投じて実際に行動を起こしている点です。自社ですぐに役に立つ人材を、学生の学費で育成できるので将来的に見ればプラスになるという計算があるのかもしれませんが、それにしてもそこまでできる経営者は稀でしょう。

また、自身のネームバリューと今回のようなテレビ出演等の宣伝、好待遇による教授陣の招聘を行い、研究にもお金を投じて、英語で授業を行い、留学生を増やせばいずれ大学のランキングは高くなるでしょう。

教育関係者の典型的な反論としては、「大学は企業にとって即戦力となる人間を育成する場ではない」というものが挙げられます。ただ、こんなぬるいことを言っている間に、この大学は評価を獲得していくのではないでしょうか。

 

 

ここで考えたいことは「大学とは何か」です。

学校教育法第83条第1項には「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」とあります。

ちなみに英語のUniversityの語源は「一つに統一したもの」、Collegeの語源は「仲間の集まり」だそうです。

元々、大学は教授と学生が集まってできた組合、ギルドが始まりであり、現在も学術的研究及び教育の中心としての役割は担っています。ただ、現在の(少なくとも)日本においては、前には小中高から続く教育課程との接続、後ろには就職、社会からの要請があり、状況は単純ではありません。

「広く知識を授け」「深く専門の学芸を教授研究」する準備が整っていない学生もいれば、学問したって役に立たないからもっと仕事に役立つ能力を身につけさせろとも言われます。大学自身も目的は様々でしょう。

高校卒業後過半数が大学に進学する現状、すべての大学生が上の目標を達成する必要があるのか、あるとしてそれがその後の人生につながるのか、考える必要があるのではないでしょうか。

 

 

その点、京都先端科学大学のようにとにかく企業で即戦力になる「人財」を潔く育成しようという試みは、成功すれば一定の需要があるでしょう。学生側としてもメリットがあり、後を追う大学も出てくるかもしれません。

しかし、この場合研究機関としての大学の機能は維持されるでしょうか。また、就職した企業が倒産したり方向性を変えたりした場合にはどうなるでしょうか。

企業の求める姿に合わせていく大学もあってもいいとは思いますが、時代の変化にも対応できる汎用的能力を身につけさせる、あるいは時代の変化そのものを起こさせる大学もあってほしいとは思います。

ただ、その具体的な方法は思いついていませんので、引き続き考えていく必要があります。